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100%天然のものに賞金

イギリスの王立化学会が、100%天然のものを探して持ち込めば100万ポンドの懸賞を出すとしています。

GIGAZINE:英国王立化学会が「100%天然」の物質に1億4千万円の懸賞金

そもそものきっかけはイギリスで放映された有機肥料「Miracle Gro」のTVコマーシャル。

この動画の10秒付近の「It's 100% chemical-free(この製品は化学物質を含まない)」というナレーションに対し「有機肥料は化学物質を含まないわけではない」と視聴者からクレームがあがりました。

これに対し日本のJAROに相当する英国広告基準局(ASA-Advertising Standards Authority)は「広告中のchemical-freeという表現に対して、誰が『この肥料は化学物質を含まない』という受け取り方をするだろうか。常識的・一般的には『この肥料の原料はすべて非人工物』と受け取られるだろうから問題ない」というコメントを出しました。

しかしながらこの「~free」という表現は一般には「~がない」という表現。例えば「fat-free milk」は「無脂肪乳」を表します。有機肥料はリンやカリウムなど多くの化学物質を含みますから「chemical-free」ではありません。

このような広告に対し、英国王立化学会はプレスリリースで「ごく当たり前のことだが、そもそも私たちの目に映るすべての物は『化学物質(chemical)』だ。もし明らかにそうでないものがここに持ち込まれて、それが証明されたなら私たちは100万ポンド(約1億4千万円)を支払うだろう」と宣言しました。

食品も、空気も、あなた自身の体も、それを構成しているのは化学物質なのですから。

イギリスで、「化学物質」に対する偏見に立ち向かっているジョン・エムズリー氏、その翻訳をしている渡辺正・東大教授も、世間の「化学」「人工」「ケミカル」に対する偏見に我慢がならなかったのでしょう、「日本化学会論説委員会」名義でまとめています。

「不思議なことば :『化学物質』」

ヘンな言葉「ファイトケミカル」

一方で、悪の根源(?)chemicalに、ギリシャ語で植物を意味するphytoをつけた、「ファイトケミカル」という言葉でGoogle検索してみましょう。あらあらビックリ、「ファイトケミカルで抗酸化力&免疫力アップ」「ファイトケミカルを摂りなさい」「ファイトケミカルで活性酸素を除去」……。称賛記事ばかり出てきますね(笑)。ファイトケミカルが「植物に含まれる化学物質」のことを意味するのなら、トリカブトのアコニチンだってファイトケミカルでしょう。

昔は、「科学」「化学」「人工」に夢があった

mixiの「懐疑論者の集い-反疑似科学同盟-」というコミュニティで、天然信仰が話題になったときに、原田実氏がこんなことを書かれていました。

「天然」「自然」信仰と幻想(アクセスには要mixiID)

>514

そうそう、私が子供の頃(60年代)の未来予測の本では、「21世紀には体に悪い天然食料を食べる必要はなくなり、栄養素を錠剤やチューブで必要なだけ摂取するようになる」と大真面目に書かれていましたっけ。学習雑誌の特集とか、大人向けでも真鍋博先生の挿絵が用いられているような本とか・・・・

実際の21世紀がこれほど天然志向の社会になるとは当時の科学ライターやSF作家には予測できなかった(もしくはその予想があっても一般向けの本には書けなかった)わけですね。

>521

化学調味料排斥といえば劇画『包丁人味平』(1973~77)、『美味しんぼ』(1983~)の影響が大きいですね。

それも味平の段階では、何でもおいしく感じさせるようなものを使うのは料理人として不心得だ、という作る側の視点からの批判だったのが、『美味しんぼ』では化学調味料をおいしく感じるのは舌が麻痺しているからだという食べる側の問題にされた(逆にいえば、化学調味料を美味しく思わないのは舌がまともな人というわけ)。

意外にも『ミスター味っ子』(1986~89)では化学調味料は排斥されていないし、化学調味料(を含む加工食品)も含め食材の特性を生かすのが料理人の心得ということになっている。

また、70年代には食品添加物非難の一つとして「中華料理症候群」の問題もしばしば取り上げられました。

Wikipedia:グルタミン酸ナトリウム

もっとも、グルタミン酸を摂取しなれていた日本人にはピンとこない話で、日本では「中華料理症候群」に過敏に反応したのはごく一握りの人でした。一般への影響は劇画の方が大きいですね。

鉄腕アトムが「科学の子」と歌われた時代ですね。60年代以降、水俣病のような公害病、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』や有吉佐和子の『複合汚染』といった著作、洗剤の泡汚染、ガソリンの鉛中毒、(実は濡れ衣だった)チクロ騒動……。このあたりから、化学というと、おっかないイメージを持たれるようになったのでしょうか。付け加えれば、同時期に湧き起こったニューエイジムーブメント・カウンターカルチャーの影響もあるかもしれません。今のLOHASだスローライフだというのも、おそらくその流れでしょう。

「化学」に対する偏見に我慢ならない

私も、不良学生ではあったけれども、一応大学でバケ学をかじった端くれです。それゆえ、「化学」に対する偏見に我慢がならないのです。これはもう化学という学問そのものへの蔑視ではないかと思っています。化学が環境を破壊する?いや、環境を守るのも化学屋の仕事じゃないか、「化学物質」と聞いただけで嫌悪するのではなくて、嫌なら嫌なりにでも知ろうとする努力をすべきでしょう。ところが、思想先行科学欠如の「市民運動家」は知ることよりも、己の思想が先にあるわけ。

そもそも、バケ学屋は「化学物質」なる言葉はあまり使いませんね。

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