非国民生活センター

生活にまつわる怪しい情報と、身を守る知恵をご紹介します。

サイトマップ


TOP>雑談>橋谷博先生

スモール大学

私が出た、ある地方国立大学。「国易私難」などといわれた受験戦争、中堅クラスの私立大学(産近甲龍・日東駒専)が軒並み難関化して国立のほうが入りやすかった時代に、その大学に私は補欠合格で拾われたのでした。

高校の進学指導で、その大学がA日程だったことから(次の年から前期・後期になったはず)、後期日程の某大学と、C日程(その高校の理系では、C日程として多くの者が姫路工業大学理学部か大阪府立大学を受けたはず)との併願が可能だった(前期日程の大学で合格すると、他の国公立大学の併願は出来なくなる)を併願したのです。センター試験の自己採点、今もいくつか覚えています。

試験会場に向かう電車の中で英熟語を覚えたら、その熟語が出題されていました。何の熟語だったかは忘れたけれど。

英語が苦手で、二次試験で英語がないところを選んだのです。

なにはともあれ、私がその大学に入ることがなければ、その後の懐疑主義はなかったであろうというのが、橋谷先生との出会いだったのです。

分析化学の学生実験では、ガラス箱に入った下皿式の化学天秤を質量測定に使いました。もう壊れても修理が出来ないといわれたものです。天秤の支点に物凄く強い力がかかり、精密な構造になっているのです。化学天秤は、分銅を載せる代わりにダイヤルを回す直示天秤にとって代わられ、今では載せるだけの電子天秤にとって代わられています。卒業研究では、教授が学生のころからあるというXRD(粉末X線結晶構造回折)を使ったものです。部屋のドアには放射能マークが付いているのですが、今思えば随分無防備でしたね。

変人教授

入学直後、先輩方によるオリエンテーションで、「この教授は変人だから、避けられるものは避けたほうがいい」と言われたものです。その変人教授こそ橋谷先生でした。

必修科目の「分析化学」は嫌でも単位を取らなくては卒業できないのですが、普段の講義はポンポン口から出てきた言葉を黒板に書きなぐるからノートが取りづらいのなんの、それでいて試験はしっかりした問題を出す、ただし試験監督は大学院生にさせて、しばらく粘っていると院生がヒントを教えてくれるというものです。

結局、橋谷先生の現職時代は単位を取れず、定年退官してO教授に代わってから単位を取りました。

やさしくとは 生物どうしが 言うことさ 地球に言うとは 驕りきわまる

その少し前ころから、世間では「エコ」「地球にやさしい」「環境にやさしい」という言葉が盛んに喧伝されていました。それに対して橋谷先生は、生物のうちの一つにすぎない人間が、地球に対して「やさしい」と言えたものか、そのうち天罰が下ると、表題の狂歌を作られました。「地球にやさしい」という言葉に疑いを持ったのは、紛れもなく、この先生との出会いだったのです。

『源五郎のいずも風土記』

退官後、橋谷先生は著書『源五郎のいずも風土記』を出されました。いま読み返して、読み物としても、とても刺激的で面白く(面白すぎ?)、示唆に満ちているので、かいつまんでいくつか紹介しましょう。

巨大科学から、スモール大学へ

橋谷先生は立命館大学出身、日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)で長く研究者を務められました。日本の科学の最先端、第一線で活動してきたわけです。その先生が、妻子を置いて単身赴任、給料が減るのは覚悟の上で、「スモール大学」の教授公募に応じたのは、精神文化へのノスタルジア、物質消費文明社会への疑問からだったといいます。何もないところから出発した草創期の原研は日本中から俊秀を集めて、自由闊達な空気があったけれども、四半世紀を経て親方日の丸化。

分析機器が高度に発達したことで基礎の軽視を招き、皮肉なことに、その分析機器を扱うのに必要な標準物質を供給できる人間がいなくなったといいます。先生が国際会議に出席した折、アメリカ代表が「スモール大学から人を採ること」と言っていたと。貧乏スモール大学では魅力的な機器が買えないので、古典的・基礎的な教育が残っているからだということです。そして自ら「スモール大学」で人を育てることを志したというわけです。

母集団とアウトライヤー、エタロンとノルム

複数の分析者が同じものを共同で分析したとする。分析値の度数分布で、山を形成する母集団からかけ離れた値(outlier=アウトライヤー)を軽々しく棄却してはいけない。だれしも自分の値が母集団に入っていると安心し、アウトライヤーになることを嫌うが、母集団に偏りがあり、かけ離れた値が正しいことが後になってわかることがよくある。(p34)
母集団とアウトライヤーは人間社会で考えると面白い。民主主義とは不純物に寛大であれ、ではなかろうか。ムラ社会では真値は求めにくく、母集団の中にいる限りアウトライヤーのことはわからないものである。(p35)
機器を用いる分析法は比較法であるため、絶対法で含有率を定めた標準試料を必要とする。私は二十年余り標準資料の表示値を決める共同分析を主宰していた。我々は徹底して神のみぞ知る真値を追及したが、その過程でわが意を得たりと思うような海外の思想に接した。例えば、アウトライヤーを異常値として母集団の平均値を表示値とするようなconsensus valueは固く禁じている。ところが、わが国ではコンセンサスを得た値としてまかり通る。JIS(日本工業規格)というとオカミの方法として歓迎される。一方、海外の思想では表示値の決定には公定法という概念を捨てよと言う。すべての方法には誤差要因が潜在しているというのが理由で、真値、真理、正義、普遍的なものを執拗に追及する絶対のカルチャーに基づく。これに対して人種の少ないわが国では相手次第で変わる相対のカルチャーに流れがちで、consensus valueは談合値と意訳しなければこの話は通じない。(p36-37)

日本語の標準、英語ではstandard。フランス語で「標準」を意味する言葉は2つあって、etalon(エタロン)とnorme(ノルム)。エタロンは普遍的な真理、ノルムはJISのような人為的な標準を意味するということです。日本語にも英語にも両社を区別する言葉がない、言葉がないということは、区別するという概念がないということです。

エタロンとノルムを拡大解釈すると、内容(中身)と形式(がわ)になり、ホンネとタテマエとも言える。さらに拡大すると、エタロンには真実、正義、こころ、ノルムには規則、前例、慣行、肩書き、レッテル、セレモニーなどが相当する。(p38)
「真面目」には二つあって、反抗する奴は、少なくともそのことに関して真剣に考えている証拠であって、それこそ真に真面目なエタロン人間、一方、従順だか形式にとらわれて実は真剣に考えていない、それはノルム人間だと。大学にはノルム人間が多いと。

戦争は処刑された戦犯だけが始めたのではない。それを迎え入れるムードが社会にあった。政党は一つになり、隣組が強化され、不純物(戦争忌避)は非国民としてその存在すら許されなかった。純化は人間社会の修正のように思われるが、純化した集団は思わぬ方向に突っ走る危険性がある。反原発運動の講師をしてもクビにならない日本原子力研究所では、まだるっこしさに、民主主義は大嫌いだ! と叫んだ部長もいたが、多様なベクトルのあるほうが健全であり、安心できる。

しかし、本来民主主義は個人主義を認めたうえでのルールなのに、村役、トビ役、肝いりどんまかせのおてもやんの社会では多数の論理と称してムラ八分の道具に使われる。(p86-87)

環境行政には、規制値、推定値、予測値等性格の違う数値が入り混じって登場するので、誤差の概念とともにそれらの性格も吟味しなければ正しい評価はできない。PCBの排水基準が決められたとき、某紙の一面に、「我々は定量加減をゼロにしなければならない」という見出しの解説記事があり、感動した私は毎年試験問題に使わせていただいた。答えは簡単、誤差のある限りゼロという測定値はないのだが、知識はあっても知恵のない学生は何も書けない。0.3ppbという定量下限を設けてゼロ規制をかけない行政への新聞人のいらだちは分かるが、測定分析値のばらつき幅は低濃度になるほど大きくなることくらいは理解してほしい。(p92)

昭和四十八年夏の「汚染魚騒ぎ」は当時の公害問題の世相を表す教訓的なできごとであった。

「厚生省水域ごとの魚の水銀汚染度発表(四十八年六月二十四日の新聞)」、「魚類許容摂取量発表(献立表として一週間にアジ十二匹)」、「魚売れず、漁連厚生省に抗議デモ」、「献立表緩和(アジ四十六匹)」-石油ショックによる品不足と買いあさりで、秋風とともに忘却の彼方へ。

「汚染魚はどこへ行ったか」は、当時の私の講演の題目だった。科学的にみれば、前処理(灰化)時の水銀の揮散や当時の定量法・技術では有効数字は一けたか一けた半であろう。まして水域を代表するサンプリング(魚の種類、数、量、サンプル採取部分)のことを考えると、三けた、四けたの数値で水域ごとの汚染度が比較できるものではない。しかし連日の報道で多くの人が秋まで魚を食べられなかったし(缶詰が売れた)、秋以後汚染魚報道が皆無になったことも事実である。(p91)

ページトップへ
Copyright(C) 2010 Consumer Affairs Center of Perversity All Rights Reserved
inserted by FC2 system